特攻出発の地を訪ねて

一泊二日で、鹿児島県の知覧、指宿、鹿屋を訪れました。
第二次大戦の終盤に特別攻撃隊としてこの地から飛び立ち、
若い命を終えた兵士たちの最期のメッセージを
実際に見たかったのです。

コーディネートは、黒を基調に、
南国の日差しに映える色をセレクトしました。
(1日目)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA(2日目)

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トップスだけを入れ替え、荷物を軽くして出かけます。

昨年は海軍特攻隊を取り扱った映画「永遠のゼロ」が
話題を呼びました。
あの戦争から、もう70年を経たことに驚きます。

私は、幼少期から青春までを広島の中心部で過ごしました。
通った小・中学校は爆心地に最も近い学校で、
平和教育がとても熱心でした。

課外授業では、被爆者の方々の居宅を訪れては体験談を聴いたり、
折々に原爆資料館を訪れたり、
市内の川べりにはまだたくさんの被爆瓦が散乱していて、
夏休みに拾いに行ったりしていました。

「戦争はしてはいけない、平和が大切だ」
と繰り返される平和教育のメッセージは
とても共感できるものでしたが、
どうして戦争になるのか、平和とは何か、
平和をつくるにはどうしたらよいか、
ということは教わることのないままでした。

そして、平和公園内の慰霊碑に刻まれた、
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
という言葉に、まるで日本の大戦での関わり方を全否定するかのような
印象を受け、違和感を感じていました。

戦争を実際に経験していない私には、
戦争を体験した人たちの思いを計り知ることができません。
だから、せめて当時の人々の気持ちに寄り添いたいという思いがあり、
今回、知覧や鹿屋を訪れることにしたのです。

陸軍の特攻基地となった知覧、
海軍の特攻基地となった鹿屋にはいまも、
特攻で戦死した若者たちの
遺書や語り部、遺稿が多く展示されています。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

どのメッセージも、それぞれのいのちの最後のメッセージなので、
似た文面であっても読み飛ばすことができません。

両親にこれまでの感謝を捧げる者。
遺された妻と子どもに、気丈に過ごすよう託す者。
金銭の貸し借りや女性関係はありませんと言い遺す者。
両親には、自分が戦死したことをしばらく黙っていて欲しいと兄弟に託す者。
命は惜しくないが、犬死にが怖いと吐露する者。
日本を、欧米列強に一目置かれる、輝かしい国にしてほしいと託す者。
特攻の前夜に、「故郷の歌を唄いたい」と、アリランを唄った朝鮮人の若者。
約束した時間きっかりに、蛍になって同期に会いに来た者。

最期を覚悟した若者たちのメッセージは、
長い年月にも色あせず、見る人の心に響きます。

そんなメッセージに心を寄り添わせて気づくことは、
あの戦争で多くの人々が身を挺して国や家族、理想を守り、
多くのいのちが失われたからこそ、いのちの大切さを痛感し、
遺された者が使命を発揮して、敗戦の混乱を乗り越え、
いまの日本をつくったということです。

この歴史を、忘れてはいけないと強く思いました。

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