「装うこと」の本質について

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ご存じのように、「装う」という言葉は、
ファッションだけに使われるものではありません。

漢字には、「武装」「実装」「偽装」「扮装」などといった、
身づくろいとは違ったニュアンスで、
「装う」という字が使われる言葉もあります。

「装うこと」の意味について考えながら過ごす折、
ある日ふと気づいたのは、

「人は、見えるものを通じて、
見えないものを見ているのだ」

とうことです。

例えば、信用は、目に見えません。
自信や情熱は、目に見えません。
勇気や感動も、目に見えません。
友情や家族愛も、目に見えません。
リーダーシップや優しさも、目に見えません。
郷土愛や感謝の想いも、目に見えません。

しかし、世の中で大切にされていることの多くは、
人が心に描く、「見えないもの」なのです。

そんな「見えないもの」を見えるようにする努力が、
「装うこと」だと気づきました。

人は、「見えないもの」を見えるようにするために
端正に装い、思いを適切な言葉にのせて伝えます。

人は自分が心に描くことを、意識的に、あるいは無意識的に
「見てもらいたい」から、創作や表現をします。

同時に、人は受け取った成果物から、
そのつくり手の情熱や想い、
教養などといった、無数の「見えないもの」を
見てしまうのです。

だから、「形ありき」のものは、
心の世界には馴染まないのです。

「見えないもの」を見えるようにするすべての努力が
「装うこと」ならば、それは人の営みそのものだったのです。

そのことに気づいたとき、私は、
「装うこと」の奥深さに圧倒されてしまいました。

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